アンドロイドに自由の権利はあるか Detroit: Become Human
最近、AIの進化がすごいですね。将棋界(ponanzaの流れ)では、人間を打ち負かし、逆に人間に新戦術を教えたり、アートの世界でも、古典絵画を学習させて、瞬時に新しい絵を作る技術があるそうです。
今回は、アンドロイド(AI搭載ロボット)をテーマにした素晴らしいゲームを紹介したいと思います。タイトルは「Detroit: Become Human」。
ゲームしないしな、と思っている方もYoutubeで動画を見るだけで面白いと思うので、ぜひお付き合いください。
今回取り上げるのは、 PlayStation4のゲーム、 Detroit: Become Humanについて。
あらすじ
舞台は2038年のデトロイト、家庭用アンドロイドが普及した世界。これ以外は敢えて書きません。1分だけ時間ちょうだい。ぜひtrailer見て。
まず映像の綺麗さ、リアルさが目に付くと思います。なぜこんなにリアルなのか?それは、本物の役者の顔を読み取り、動きを記録し、アニメーションに反映させているから。
また、ゲーム中に3人の主人公が出てくるのに合わせ、soundtruckの作曲家も3人起用。それぞれの登場人物に合うsoundtruckが流れます。中には、わざわざこのsoundtruckのために楽器を自作している作曲家も。(詳しくはメイキング映像)
このように、このゲームの素晴らしいところは、detailにも表れていますが、注目すべきはシナリオ。
プレイヤーの多くの選択によって結末が分岐するシステムになっている。プレイヤーは文字通り未来を選ぶのです。
僕が辿ったストーリーでの話
特に僕が注目したいのが、3人の主人公のうちの1人、マーカス。芸術家のアシスタントとしてのアンドロイドだったが、ある時廃棄される。それを経て彼は自我に目覚め、やがて自由の権利を社会に訴えかけていきます。アンドロイドにとって自由とは、奴隷のように延々と働かせられたり、ストレスのはけ口にさせられたりすることを拒むということです。アンドロイドたちの平和的なデモにより、世論は反アンドロイド感が治まり、むしろ好意的になっていきます。結末はネタバレになるので言いません。
人間性とは何か
登場するアンドロイドたちを見ていると、人間より人間らしいと感じるときがあります。彼らは愛情を持ち、絵を描き、何よりも葛藤をします。このような状況(アンドロイドが普及した世界)になったとき、私たちは何を基準に権利譲渡を考えたらよいのでしょうか?人間は、アンドロイドとどのように区別されるのでしょう?
チャウチャウはどう思うか
僕はこのゲームに出てくるアンドロイドを通して、人間は脆く、自己中心的であるが、反面、理解する力があるのだろう、と思った。何事にも言えることだが、常に見識を広く、そして相手の話を聞こうという姿勢を持つべきである。(社会に生きる動物としての自覚として)そうした姿勢を通して、人はアンドロイドとはじめて共生できるだろう。つまり、人か、ペットか、アンドロイドかは二の次で、いかにして相手を理解しようと試みるかが大事である。ゲーム内の状況に照らし合わせると、僕はアンドロイドたちに自由の権利を認め、共生したい。
さあ、あなたは、アンドロイドが自由の権利を持つことを許しますか?それとも許しませんか?
(PS4持っていないけど見てみたいという方は、Youtubeで動画検索してみてね)
最後に、このように考えさせてくれた本ゲームに感謝します。良すぎてプレイ後に他人に話したくなりました。アートとは、思想や考え方を人とつなぐもの、とよく言ったものです。その通りですね。
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